trichromatic制作秘話


この記事はtrichromaticの制作秘話になります。これはどこまで公表するか悩ましい部分なのですが、やはり書きたいと思います。

※とっても長いです。どうしても読みたい方のみお読みくださいませ。笑


今回のジャケットの絵を描いてくれた、JINさん。ちなみに彼は前回のafter the duskの絵も描いてくれた人でもあります。彼は僕の唯一無二の心友であり、天才笑顔絵作家でした。


実は、彼はこの作品を最後に亡くなられました。


この当時、数日間で本当に様々なドラマを彼は産んでくれました。このCDを作る上で彼なしだったらどれだけ色の薄いものになっただろう、と思えてなりません。


まさに大詰めの時にそれは起きました



忘れもしない3月17日。まさにレコーディングが大詰めの時期でした。17日までに全録音を終了し、その翌日の18日にはマスタリングという最終調整をする・という予定がありました。
このマスタリングというのはとても大事な作業で、録音した音源をみなさんにお届けするための最終調整。これは絶対的に信頼出来る人に任せようということでとある都内にある会社にお願いしていました。


そういう兼ね合いもあって、デザインを18日までに決めようということでオンライン上で協議をしていました。


その日もオンラインでやりとりをしていました。最後のやりとりの数時間後、共通の知り合いからメールが来ました。彼が倒れたという目を疑う内容のメールでした。
病名は大動脈解離。心臓に近い血管が裂けてしまったそうです。


共に戦う決意



突然のことに状況が飲み込めず呆然としましたが、人の感情をさておいて時間は非情に流れていきます。僕も僕自身の仕事をしないと間に合わない状況でした。

なんとか気持ちを整え、最後のミキシング(録音した曲の音のバランスを整える作業)を自宅スタジオで行いました。どうにか3曲分を終えたときはすでに24時前でした。
次の日のマスタリングは9時からでしたので、僕の家からは7時過ぎに出ないといけない計算。そろそろ寝ないとな〜と考えながら社長に音源を送り確認をお願いしました。


そんな中、またメールが。これから彼が手術をするとのことでした。
血管があまりにボロボロになってしまっているため、縫合が出来ない。そのため心臓を一度取り出して、外で人工血管を入れて、また心臓を戻すという手術だったようです。あとで聞いたのですが、肋骨をすべて一度切って手術し、また戻すという本当に大掛かりなものだったそうです。


なんとも言えない気持ちを抱えながら社長からの連絡を待っていました。そして社長からは2曲目のfirebrickについて、要約すると「もう一歩がんばれないか」という内容の連絡でした。確かに実際この曲は自分の実力では弾ききれてないという思いはありました。ただ、「これ以上はもう出来ない」というところまで頑張り、手も既にボロボロ。


僕はとても悩みました。6時間後には起床しなければならない状況でさらに満身創痍、正直「無理じゃ・・」という考えも脳裏をよぎりました。多分一人だったら諦めていたと思います。それでも頑張れたのは、彼がいたからに他なりません。

彼は手術に入る前は意識があったらしく、必ず帰ってくると言って手術に臨んだそうです。
「彼が今、闘っている。必死の命のやりとりをしている。それなのに自分だけここで引き下がる事など出来るだろうか。引き下がったら、一生後悔するに決まっている!」


そう一念発起して、朝までに何が何でも録音しなおす。と決意をし直してリテイクを断行しました。上に書いたように、firebrickのコンセプトは「不撓不屈」。多分ここで退いていたら曲として成立しなかったと思います。これがあったからこそ曲として成立したんだと確信しています。


日程との葛藤の中で



苦闘6時間半。ボロボロになりながら朝6時半、録音終了。そんなに時間がかかってしまう時点で情けない限りですが、難しさ・こだわり・疲労がここまで伸ばさせたんだと何卒温かい目でみてやってください・・^^;


そしてこれも後で聞いたのですが、実は彼が手術を終えた時間もほぼ同じ時間だったそうです。本当に一緒に頑張ったんだと信じています。


結局寝ずにそのままマスタリングへ向かい、3曲とも全工程を終了。そこで待っているうちにまたメールが。彼の手術の成功と、現在は人工的に心臓を動かしている状況ということ。その日の昼までに目が覚めないと危険だということ。


当然僕らは、彼はじきに目覚めるものだと思っていました。彼がそう簡単に死ぬことなど、あるはずがない。またあの人懐っこい笑顔で大きく手を振りながらやってくるに違いない。そう信じて、今後のことについて協議していました。中国ツアーが控えていたので、それに間に合わせるかどうか。間に合わせるためには1からデザインを作り直してしまう以外にありませんでした。


悩みました。


忘れがたい電話



しかし彼は一向に目を覚ましません。手術から1日、2日が経ちましたが目を覚ましません。現実感のない現実を数日過ごしました。そんなある時、とある女性から電話が来ました。共通の知り合いでした。この時知らされたのですが、その方はJINさんの彼女さんでした。
そして彼女からの電話の内容は忘れられないものになりました。


彼が「頭痛がする」と言っていたため、彼女が彼の家に行ったこと。
着いて、その2〜3分後、彼が倒れたこと。

彼は描きながら「yamabuki」を聞いてくれていたこと。

彼女さんが「いい曲だね」っていうと、彼が「だってオカピの曲だもん」
そんな会話をしてくれてたこと。

彼が倒れた時、意識が薄れながらも自分の事より作業中のデータを案じ「保存して保存!」「オカピに届けなきゃ!」と彼女さんに指示していたこと。

そんな緊急事態のなか、彼女は保存しようと試みましたが、なぜかマウスのポインタがあちこちに動いてしまい、うまく動かせなかったこと。
保存を一旦諦め彼の元に。

そして保存されていないまま、PCはスリープ状態になってしまっていること。シャットダウンしたら、彼が一生懸命描いた絵が消えてしまう。

PCにはパスワードがかかっていて、誰もそのパスワードがわからないこと。
現状待つしかない。

そして、彼が起きたら7月に結婚するということ。

結婚式の余興では僕に演奏をお願いしたい、ということ。


そんな事を彼女は話してくれました。


僕は今までこんなドラマティックな展開を経験したことがありません。
婚約については僕はその時初めて知ったので、衝撃でした。何をしてるの、早く起きなよ・・!という気持ちでいっぱいでした。
ここまでお膳立てをしたら、起きたらヒーローだよ。起きないはずがないよ。



それでも非情な事実はやってくる



そう思っていた次の日。


彼が亡くなったという知らせが彼女から届きました。


本当に信じられませんでした。だっておかしいじゃん。必ず帰ってくるって言ったんじゃないのか。
本当に久しぶりに涙を出しました。僕は基本的には数年に一度しか泣かない生き物なのですが、もう我慢が出来ませんでした。


そこからしばらくは呆然自失でした。だけどそれでも地球は回るし時間は流れる。彼の葬儀の日程が知らされる。実感がわかない。
この時の僕の一週間のスケジュール。結婚式で演奏のお仕事 → 彼の葬儀 → 僕の誕生日パーティ。正直どういう顔をしてこの数日過ごせばいいのかわかりませんでした。笑


でも。
ここまできたら彼の絵を使わないなんて考えられない。いつだって、亡くなった方がどう生きたかの証は、残った人が遺志をどう継いでどう生きて、どう次世代に託していくのか。これによって一番刻まれるものだと思います。



奇跡のパスワード



スリープ中の彼のPCを叩き起こさなければならない。どうにかパスワードをクラックしてでも割り出さなければならない。
そう思ってアクションを起こそうとしたのですが、どこを調べても起動中のパスワードをクラックすることは難しいとされている。クラックするには下準備が必要で、電源は一度必ず落とさねばならないそうだ。どのPCに詳しい友人に訊いても答えは一様に起動したままパスワードを割り出すことは「できない」というものでした。


その中で僕の恩人の一人であるKさんの一言、「でもWindows7だったら、何度かパスワードを間違えたらヒントとかが出るはず。本人が設定してたらだけど」という一言に一縷の希望を見出しました。彼のPCはWindows7だったはず。そのヒントを見て彼女さんがわかるかもしれないしご家族がわかるかもしれない。これだ、これしかない。


そして試して頂いた結果、ヒントは出ましたが、誰もわからない状態であるという内容の連絡が来ました。
何日、何ヶ月かかってもいい覚悟はできていたので、何通りだってやる覚悟でした。彼女と電話で話しながらあれはどうだ、これはどうだとパスワードを試してもらっていた時、不思議なんですが僕の脳裏にそのヒントにピーンと閃くものがあり、「◯◯◯◯◯◯◯◯」ってどうですか!?と打ってもらいました。


数秒間の沈黙の後、彼女の驚きとも喜びともつかない声。開いた!!


今ざっと文章見直しましたが、これって奇跡に近い内容ですよね。笑
信じがたいですが、全部真実を書いております。


そして後から彼女さんから聞きましたが、もしあの場で保存が出来ていれば彼女が病院から連絡してくれることもなかっただろうし、パスワードを僕に聞くこともなかっただろう、とのことでした。

そしてそのタイミングで連絡がもらえなかったら、僕ももしかしたら別のデザインに仕方なく移行してしまっていたかもしれません。元々は中国へのライブに間に合わす方向で作っていましたから。

そう考えると、何かに導かれた感すらあります。

とうとう対面



PCが起きたことを受け、彼の家に急行しました。そして彼が最期に遺した絵と対面出来たのです。
ああ。彼の絵だ。素敵な絵です。


しかし残念ながら、やはりまだ途中でした。

と、なれば。
僕が続きをやるしかありません。


前回の時も僕と彼の合作でした。僕はデザイン、彼は絵を描いてくれた。今回もそうしよう、ということでその最後の絵を受け取り、僕がそれらを組み合わせて完遂することにしたのです。


その時に、彼女さんから色々な話を聞けました。中でも一番印象に残っているのは、いくら取ろうとしてもペンタブのペンを握ったまま離さなかったという話でした。本当に苦労したそうです。笑

最期まで仕事を完遂しようとした彼の魂に最敬礼です。
そして芸術家の鏡だと思います。心の底から尊敬します。



この一連の流れ、実はこれでもまだ割愛しています。もっと奇跡みたいな出来事ありました。
そして彼の死によって新たに生まれたこの作品達を、自分でも愛さずにはいられません。ぜひ、皆様に聴いて頂きたいし、CDを手にとってご覧頂きたいと思うのです。


その思いがあって、今回は今までになかったライナーノーツ(曲のイメージに合わせた詩のようなもの)を各曲について書き、載せています。
そしてこれは実は普通に読んだ場合と、もう一つメッセージが隠されています。よかったら探してみてくださいね^^



奇妙な一致



そして図らずも、ではありますが。
BLUE、firebrick、yamabuki。全ての曲が彼や彼の状態に当てはまること。

BLUEは生死に関する絶望と希望、生きる決意。firebrickは不撓不屈、諦めない闘志。yamabukiは追慕、別れ、希望。

こんなドラマティックなことってあるだろうか。

曲のそれぞれの説明はこちらでしているので、是非合わせてご覧くださいませ^^



最後に



最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。


ここで僕が述べたかったことは、この制作の影にこんなに偉大なクリエーターがいたこと、彼の死によってたくさんの創造的なものが生まれたこと、彼への感謝、僕の周りの方々・皆様への感謝です。

僕は、これからもさらに一生懸命生きていきたいと思います。健康にもなるべく気をつけて一生懸命頑張りたいと思います。
支えてくださっている皆様、本当にありがとうございます。僕が今活動出来るのは、本当に皆様のお陰です。


これからもどうぞ宜しくお願い致します。




そして、JIN ONOSE。どうか安らかに。





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